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2011年10月27日19:21 / コージ
先日、豊見城市地域雇用創造推進協議会の主催で、豊見城の歴史や文化など学ぶ
「豊見城上りツアー」が開催、参加してきました。

豊見城にある素材を活かしてもっと街を元気にしていこうということで、議員の方や民間企業・商工会などなど様々な業種な方が参加していました。

豊崎「道の駅」から出発!
豊見城上りツアー

久々に観光バスに乗車するので、遠足みたいでテンション上がります♪
豊見城上りツアー

まず始めは、豊崎にある沖縄アウトレットモールあしびなー!
今年の12月8日に35店舗増えてリニューアルオープンを控えています。
豊見城上りツアー

2階のテラスから望むのは、豊崎干潟。
豊見城上りツアー

対岸の与根地域では100年以上も前から塩を生産していて、かつては「塩田」があったそうです。
現在は海水ではなく、輸入天日塩を使って溶かして再生する塩作りをしているようです。
詳しくはコチラ→(有)与根製塩所

遠くに見えるのは数珠森(ジジムイ)。琉球王朝時代は雨乞いをする神聖な場所だったそうです。
豊見城上りツアー

昔からこの山は知ってるけど、そんな歴史があったとは驚きです!
見る角度によっては怪獣に見えるので、僕が小さい頃は「ゴジラ」と呼んでいました(^_^;)

ところ変わって瀬長島へ。

瀬長島は豊見城市発祥の地としても記録が残されている場所だそうですが、平成22年11月ユネスコ世界無形文化遺産として登録された、琉球国時代の宮廷芸能「組踊」の中の代表的な作品である「手水の縁」はこの瀬長島を舞台に語られたものだそうです。

組踊り作者、平敷屋朝敏の生誕300年を記念して建てられた石碑の前で。
豊見城上りツアー

「語ってくれ 恋をしに渡ろう この世で暁をしらせる鳥が鳴かない島があるならば」

という節が方言で石碑に方言で刻まれています。

瀬長島はハブが多くてニワトリを飼う事が難しかったそうで、朝を告げる鳥がいないということを、好きな人とずっと一緒に入られるととらえ、平敷屋朝敏が瀬長島を「恋を語る理想郷」として読んだ代表的な歌だそうです。

バスで通るだけでしたが、この碑の反対側に「子宝岩」の石碑がありました。
豊見城上りツアー
http://www.tomiccha.com/spot/bunka.html

ここにはかつて、「イシイリー」と呼ばれる上部に上下2つの穴がある岩があり、子宝に恵まれない人達が願掛けをしたと言い伝えられています。

この岩のを目がけて石を投げ、上の穴に入れば男子、下の穴に入れば女子が授かると言われていたそうです。

その子宝岩は戦後、米軍が破壊してしまったそうで、今はこの碑だけが残っています。

今はデートスポットになっている瀬長島。
この歴史的な背景から見て、隠れたパワースポットなのかも!??




次は豊見城市字豊見城にある旧海軍司令部壕へ!

ちなみに、地名と字名が同じ部落(豊見城市字豊見城とか宜野湾市字宜野湾とか)を「ドゥームラ」と言うらしく、「ドゥームラ」に住む人は我が部落が地名になるほど街の中心地であったということで、誇り高い人が多いそうです。

1944年12月海軍設営隊によって作られた壕で、ここに海軍の沖縄方面根拠地隊の司令部がありました。
豊見城上りツアー

見晴らしのいい立地のため、琉球王朝時代は火番森(ヒバンムイ)といわれ、唐船などの入港をノロシで知らせていた場所だったそうです。
豊見城上りツアー

この見晴らしの良さから、戦争でも司令部がここに置かれたことが納得できます。

ちなみに、この海軍司令部の司令官・大田実中将が、敗戦色濃くなった1945年6月6日に本土内務省へ向けて送った、

「沖縄県民斯ク戦エリ。県民ニ対シ後世特別ノ御配慮賜ランコトヲ( 沖縄県民はこのように戦い抜いた。県民に対し、後世まで特別のご配慮を頂きたくお願いする。」

という電報は有名ですね!



一路、旧海軍司令部壕から住宅街へ。
豊見城上りツアー

字豊見城の集落の中にある石敢當に足を止めます。
豊見城上りツアー

沖縄の人ならご存知ですよね石敢當(いしがんとう)!
豊見城上りツアー
http://www.ishigantou.com/img/top/ishi_rei3.jpg

石敢當は中国で発祥した石碑で、T字路や三叉路の突き当たりに立てられるのが一般的で、魔物の侵入を防ぐ魔よけとされています。県外の方は表札だと勘違いする方もいるようです。言われてみれば(^_^;)

さてこの字豊見城にある石敢當なんですが、なんと6文字バージョン!!!
豊見城上りツアー

石敢當の上に「泰山(たいざん)」という言葉が付いてます!(初めて見た!!)

泰山(たいざん)は中国の霊山の名で、その名を冠することにより、より一層威力を発揮するものと考えられるそうです。
そして冠に仏を表す梵字(ぼんじ)を使用することで、更なる威力を期待したのではないかと言われています。

薩摩侵入により制圧された琉球王朝、薩摩藩により様々な規制が布かれた中で、王族に関連する文字を使用するのを禁じられていたようなので、このような泰山石敢當はなかなか残っていないそうです。

住宅街の奥に、こんな歴史的遺物が普通に存在したのに驚きでした!


民家の塀に使用されている「花ブロック」。
1960~70年代に流行ったブロックのようで、これがあればこの家の築年数が大体わかるとか!
豊見城上りツアー

道端に井戸の跡地があり、かつてサトウキビの精糖に使った石臼が置いてありました。

「なぜここに石臼があるんですか?」と参加者から質問がありましたが、
「誰かがここに置いたんでしょ!?」という答えでした(笑)
豊見城上りツアー


部落の中心辺りに移動すると、また珍しい石敢當が現れました!
豊見城上りツアー

古代インドの言語を表す梵字で密教の真言が記された珍しい石敢當だそうです。

この地区はいったいなんだったのでしょう???
質問すれば良かったなぁ…


次は豊見城市字保栄茂(びん)地区でウージ染の見学をする予定が、時間の関係で字翁長方面へ!

幕末の日本で日米和親条約の締結に尽力したジョン万次郎(中濱 萬次郎)がアメリカから日本に帰る際に沖縄へ上陸し、ここ豊見城市字翁長で半年ほど抑留されていたそうです。
豊見城上りツアー
Wikipedia「ジョン万次郎」

万次郎は翁長の高安家に軟禁されましたが、役人から取り調べを受けた後は地元の住民と交流し、手厚くもてなしを受けたそうです。

その万次郎が軟禁されていた高安家は戦争で焼失してしまったそうですが、ヒンプン(琉球建築の民家における典型的な様式のひとつで、門と母屋との間に設けられる「目隠し」)が残っていました!

コレだそうです↓↓↓
豊見城上りツアー

高さ130センチくらいはあるでしょうか??
万次郎は外出する時は、これを軽々と飛び越えたと言います。
横から行けばいいのに(笑)


通りに咲いてた濃厚なオレンジの花「オオゴチョウ」
豊見城上りツアー

沖縄三大名花に指定されているそうですが、あまり街中で見かけることのない珍しい花だそうです。
ちなみに沖縄の三大名花は、デイゴ・サンダンカ・オオゴチョウだそうです。

こうやって普段歩く道沿いにも、意外に知らない沖縄特有なものが存在していて、見つける度にガイドの方が説明を細かくしてくれて、普段住んでいる豊見城市内を回っただけなのに、別の地に旅行に行ったように様々な発見がありました。

今回ガイドをして下さった、「赤瓦ちょーびん」こと砂川正邦さんと☆
豊見城上りツアー

もう30年以上、沖縄の歴史や文化について研究しているそうで、その知識を活かして現在ラジオ沖縄で沖縄の集落をステージに見立てた地域発信番組「赤瓦ちょーびんのぐぶりーさびら」のパーソナリティをしています。

4時間弱のツアーでしたが、発見が多すぎてあっという間でした。
インターネットの普及により外に目を向けがちですが、足元にも素晴らしい原石が案外転がっているんだなぁと実感しました。

ツアーのあとは居酒屋で懇親会♪
先輩方の話は勉強になる話題ばかりでした!
豊見城上りツアー

この日一番印象に残った事は、先輩方はトイレに行くとき「税務署に行ってきます」と言うことです(笑)
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ハイサイ!うちなー運動部!
ハイサイ!うちなー運動部!

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